どこかでガラスの割れるような音がした。雷だ。
ヱキの家に落ちればいい、なんて静弥は思っていた。
沈んだ恋
夏休み初日から雨だった。それがずっと続くものだから、勉強をする気にもならない。陰鬱とした、湿気を多く含むそれは、何気にノっていた静弥の心を急激にクールダウンさせて、逆に熱疲労で少しヒビをいれてしまったぐらいだ。そしてその心から落ちた尖った欠片の矛先は、笑顔大王のヱキに向っていた。
近くの教会から賛美歌が聞こえてくる。そうだ、今日は日曜日なのだ。キリシタンの両親の影響で、ヱキもたぶん教会だろう。じゃあ、雷は教会に落ちればいいわけか。そんなことを考えながら静弥はシャーペンをなんとなく折っていた。とんだ浪費である。静弥に微妙に神経質な性格を受け継がせた母親が見たらなんというだろう。それこそ雷が落ちてくるに違いないと、静弥は思ってはいた。しかし、どこか走り出すと止まらない狂気的なものが静弥の中にはあって、それがぐるぐると渦巻いていた。網戸越しの外の風景はどこか外国のように静弥を拒絶しているようで、八つ当たりとはわかっていても腹が立った。不機嫌な黒い瞳は、焦点をあわせないままで、引き結んだ唇はなにも発しないままだ。時折忘れた時に吹く淡く熱気を含んだ風が、毒素のような湿り気を、乾いた静弥の心に染み渡らせていた。
雨が降っていてもそんな蒸すような熱気は収まらない。イライラしながら静弥はアイスクリームを口に入れた。溶け易いそれは、口の中を冷やすことも出来ない。こういう時、人間暖房機のように生暖かい笑顔を振りまくヱキが憎い。ああいう輩は笑顔が全て無害だと勘違いしている。あの笑顔で不快になっているこちらの身にもなれといいたい。
「世界は美しい」とか真顔でいうやつが一番嫌いだ。大嫌いだ。そのくせ、あいつはちゃんと理論の盾を構えている。不可侵と札の貼られたそれは、ただの思想の自由でなくて、しっかりとした考えの下にあると証明している。だからもっと嫌いだ。
雨が激しくなった。飴玉のような雹も混じって降っている。無機質な黒い瞳でそれを見遣って、静弥はスプーンごとゴミ箱にアイスクリームのカップを投げ入れた。やはり母が見たらかなりの剣幕で怒られるだろうが、今の静弥はそんなことには心を傾けない。
雨戸越しのベランダに蝉のもげた羽が落ちていた。グロテスクな模様のそれを静弥はヱキと同じく嫌いである。あいつらはなんだ。ミンミンと五月蝿く鳴きやがって。害にも程がある。加えて、なんで嫌っている人間のところへ態々体当たりしてくるのだろう。
「……恋みたいだ」
ガラにもなく、と自分で思いながら呟いた。蝉の羽は雨に濡れてさらに気持ち悪い。そう、恋みたいだ。沈んだ恋みたいに思い出したくないものだ。気持ち悪いし、触れない。触りたくもない。誰かに触れられるのだって見たくない。もげた心の欠片だ。最後は悪意なく、知らずに踏みつけられて割れるのだ。
賛美歌が止まった。いや、止まったわけではないのだろう。ただ遠くの雷鳴がそれの邪魔をして、聴こえなくなっただけだ。
静弥はおもむろに立ち上がり、さっきまで蒸しているから、と開いていたカーテンを閉めた。部屋は少し、暗くなった。
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